第261回千代田チャリティ・コンサート

カフェでまどろむ癒しのひととき
イーストコーストのアンニュイな風の中で

8月は当コンサートはお休みをいただいたため、お客様とお会いするのは2ヶ月ぶりとなりました。なかなか夏が終わらず暑い日が多くなっておりましたが、徐々に秋の訪れを感じるような季節になってまいりました。今回もまた大勢のお客様にお越し頂きまして、誠にありがとうございます。

さて、今回はspor(スポール)のお二人、ヴォーカルの行川さをりさんとギターの露木達也さんをお招きしてボサノバをはじめとするブラジル音楽を楽しんでいただきました。当初はボサノバオンリーかと思っていたのですが、いわゆるボサノバに限らず実に幅広くまた奥の深いブラジル音楽を紹介していただきました。

ボサノバというと「イパネマの娘」に代表されるような、まったりとした寛ぎの音楽というイメージが強かったのですが、たとえば一部最後の「Chaminho das aguas(カミーニョ・ダス・アグアス)/ 水の道 」のようなダイナミックに人生を歌い上げるような曲もあり、わたしたちが知っているブラジルの音楽はひとつの側面だけで、人が音楽を創っている以上、ボサノバを含むブラジル音楽もまた奥が深いのだと知りました。

今回のコンサートの特徴は、ヴォーカルの行方さんが演奏の前に歌詞の内容とそこに込められた意味をじっっくりとMCで語ってくれた点にあります。行方さんの解説は、リオの美しい風景が目に浮かび、そしてボサノバを作った人たちの心象風景までもがわたしたちに伝わってくるものでした。そのような「風景」が思い描けてからボサノバの歌を聴かせてもらうと、より一層楽曲の素晴らしさが伝わってくるものだなぁと実感できました。露木達也さんの心地良いギターの響き、そして行方さんの歌と露木さんのギターの奏でる音がひとつに溶け合って、聞いている皆様はボサノバを超えた「音楽」の心地よさに酔いしれているようでした。

日本語に訳すと「郷愁」や「懐かしさ」という意味になる「サウダージ」。心の奥に持っている拭いきれない悲しさ、切なさ、それがあるからはじめてわかる懐かしさ。心の奥に触れる部分を深く理解して歌い、また演奏してくれたspor(スポール)のお二人。
ボサノバそしてブラジル音楽をあらためて深く知る貴重なコンサートとなりました。行方さをりさん、露木達也さん、素晴らしい音楽をありがとうございました。

 フォトレポート

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spor(スポール)のお二人、行川さをりさん(ヴォーカル)と露木達也さん(ギター)のご登場です。オープニングは「Garota de Ipanema(ガロータ・ジ・イパネマ)」。「イパネマの娘」は日本で最も数多く演奏されるボサノバの代表的な作品です。

行方さをりさんのMC。ボサノバは、Bossa Nova(新しい傾向、方向)という意味があります。元々ブラジルはポルトガルの植民地としてポルトガル人が移民し、アフリカから奴隷として黒人がやってくる、白人と黒人、そして元々ブラジルの地にあった3つの音楽がブレンドしてできたものが「ボサノバ」です。

次の曲は「Chega de Saudade(シェガ・ジ・サウダージ)」。この曲は“ボサノバ第一号”と呼ばれ、「想い溢れて」という意味のある名曲です。「想いが溢れてあなたがいない世界なんて考えられないわ、あなたとの愛がずっと続いてほしいの、どうか戻ってきて」とそんな内容が綴られています。

調子っぱずれ、音痴という意味の「Desafinado(ジザフィナード」という曲です。ボサノバを作った作曲家達の想いが綴られています。“わたしの歌をあなたは音痴だと言うけれど、わたしの心がどれだけ傷つくかあなたはわかってるの?あなたのような良い耳も通る声もないけれど、でもわたしには今ここにある素直な心で自分が今一番美しいと思うものをただ歌いたいだけ”

イパネマ海岸を見下ろすように、キリスト像のあるコルコバードの丘があります。10年ほど前にリオデジャネイロに行ったことのある行方さんですが、夕暮れ時の景色の素晴らしを思い出すように語ってくれました。曲はその名も「コルコバード」。“夕暮れどきの美しいコルコバードの風景が窓から見える。自分の愛する人が隣でギターを弾いている。この心地良い時間、幸せというもの感じている”

続けて「Samba de uma nota So(サンバ・ジ・ウマ・ノータ・ソ)」。「タッタタッタタッター」というように一つの音でサンバのリズムを楽しむ「One Note Samba(ワン・ノート・サンバ)」で、ボサノバのコンサートではよく演奏されるおなじみの曲です。

メンバー紹介とボサノバについての解説です。spor(スポール)のメンバーは、ヴォーカルの行川さをりさん、そしてギターの露木達也さんのお二人。ボサノバはギター一本で弾き語りをするスタイルがメインです。ギターの弦については、フォークやブルースはスティール弦ですが、ボサノバを初めラテン系の音楽ではナイロン弦が主流となっているそうです。さらに、露木さんからボサノバ、サンバの違いなどについて詳しい説明がありました。

本日はボサノバの父ともいわれたアントニオ・カルロス・ジョビンの曲を多く演奏していますが、彼は「ジョビン語録」といわれるくらい様々な言葉を残しています。彼は各地に別荘をたくさん持っていたそうですが、ある別荘から広大な牧場が見えたそうです。“その牧場の広さ、遠くまで見える空の青さ、そしてその広大な場所にやってくるたくさんの生き物たち、自然が大好きで、ぼくが自然そのものになりたい。ぼくをひとつの生き物として連れて行ってくれないか”。そんな自然に語りかける曲。「Dindi(ジンジ)」。

一部最後となりました。ブラジルをリオから北上したところにあるバイーアという所がありますが、その地方の歌です。“船を漕いで川を移動していきましょう、大事な場所というのはなかなか辿り着かない、でもわたしは漕ぐように廻り道をしながら人生を歩む”、と歌っています。曲は「Chaminho das aguas(カミーニョ・ダス・アグアス)」ー 水の道 ー 。

二部が始まりました。一部最後で歌ったバイーアという所、ここはブラジルの文化が始まった場所。アフリカの奴隷達が入ってきて、いまでもアフリカの雰囲気が色濃く残っているところです。“ボートに乗ってぼくは漕いでいく、自分の人生はなかなか前に進まないけれど、でもこれからぼくが生きる人生は追い風も向かい風も色んな風が吹いてくる。このヨットを漕ぐように、いい風をぱっと掴んで行く、そんな人生をぼくは歩んでみたい”。曲は「Vento bom(ヴェント・ボン)」。

「サウダージ」は、日本語に訳すと「郷愁」や「懐かしさ」という意味になりますが、それだけでは言い表せません。どうしても拭いきれない悲しさ、誰もが潜在的にもっている悲しさ、これらはブラジル人が根底にもっている気持ちだそうで、皆の心の奥に切なさがあるから、懐かしさがあるというのが「サウダージ」のニュアンスです。雨の匂いを嗅いで、愛する人のことを思いだす切ない気持ち、「サウダージ」の心を歌います。曲は「Velho companheiro(ヴェーリョ・コンパニェイロ)」。

ビリンバウという弓のような楽器があります。これはカポエイラというダンス格闘技で用いる楽器で、弓を棒で叩く打弦楽器の一種となります。その楽器名がタイトルになった曲「Birinbau(ビリンバウ)」。露木さんがギターを叩くようにして、ビリンバウに似せた音を演出します。

都会のサンパウロに働きに出た、おそらく歌手だと思われる人が、故郷バイーアの豊かな自然に思いをはせるボサノバ曲で「Dunas(ドゥーナス)」。浜辺という意味です。

ブラジル音楽の中で、ヨーロッパの音楽が色濃く出た、悲しげなサウンドが特徴の「ショーロ」というものがあります。ギンガという現代の作曲家が作った「Choro pro ze(ショーロ・プロ・ゼ)」をお送りします。“きみのサックスは、なぜそんなに鳴いているのか?もし良かったら、なぜそんなに鳴いているのか、どうしてそんなサウンドになっているのか、本当のことを聞かせてくれないか。その音楽の奥にある君の心を教えてくれないか”

最後の曲となりました。行方さんは学生時代からジャズが好きで、ジャズクラブで歌っていました。当時、そこのママさんからポルトガル語で歌うボサノバが合っていると言われたことがきっかけになって、ボサノバをはじめブラジル音楽を歌うようになったそうです。とても美しい歌で、この曲に出逢うことでこれまで歌を続けてきたという「A felicidade (ア・フェリシダージ)」をお届けします。明るさも悲しさもすべてを包み込んでくれるような曲です。

大きな拍手に包まれながら弊社より花束贈呈。アンコール曲は、「ブラジルの水彩画」です。イパネマの娘もよく演奏されますが、ブラジルと言えばこの曲というくらい、この曲もまたよく演奏されます。サンバの明るいリズムです。素敵な演奏をありがとうございました。

今回は弊社会長兼社長の細田敏和が出張のため、当コンサートは欠席となりました。司会者からは10月と11月のコンサートの案内がありました。spor(スポール)の皆さんのおかげで、ボサノバをはじめとした奥の深いブラジル音楽を存分に堪能することができました。ありがとうございました。