第234回千代田チャリティ・コンサート

哀愁と情熱の狭間で
三味の音の奥に秘められた切なる思い

コンサート当日は寒の戻りで、雪が降るのではないかとの予想もあり、雨風もある寒い一日となりました。そんな日にも関わらず、いつものように多くの熱心なお客様にお越しいただきました。今回は、もちろん当コンサートで初めてとなる瞽女(ごぜ)唄の三味線による弾き語りです。お招きしたのは高校生のときに瞽女唄に出会って「この唄はなんだ!」と衝撃を受け、以来瞽女唄を演奏されている三味線の月岡祐紀子さんです。

瞽女さんとは、目の不自由な女性が楽器や唄を通して様々な演目を披露しながら各地を巡って生計を立てていた人々のことで、文献には室町時代から登場します。楽器として三味線を使うようになったのは江戸時代からだそうです。月岡さんは瞽女さんの音楽を、瞽女さん自身のことを、瞽女さんを通して見える庶民のことを、三味線と唄と語りでわたしたちに伝えてくれました。

瞽女唄の演目は多岐にわたっていて、今で言えばテレビやドラマのような役割を果たしていた長い歌物語の「段もの」や「祭文松坂」、そして村々の出来事を伝える「口説き」と言われる、今のニュースのような役割を果たしたもの、また子供向けにはお話も語って聞かせたそうです。

今のように情報の入手が容易な時代と異なり、地方の村々の庶民は瞽女さんたちの演目を通して、情報を得ていたのだというこれまで知らかなった時代の側面を知ることができました。情報の接し方という点では、今の時代より、はるかに想像力が求められたのではないでしょうか。

月岡さんは、瞽女さんが生きた時代のことを三味線と唄と語りで聞かせる稀有な伝承者のようでした。瞽女さんたちの活動と歴史は日本の庶民文化のひとつだったことを理解できました。

瞽女唄に取り繕わないストレートな生の人間の姿を感じ、人の脆さ、その対極にある生きることへの力強さ、そしてこれらの相矛盾するものが同居するのが人間なのだということをあらためて気付かされました。月岡さんを通して瞽女さんたちの生き方を知り、このことを学んだ気がいたします。

弊社会長細田が「三味線の音を聞いて、皆さん一番元気だった頃のことを思い出されたのではないでしょうか」と申しておりましたが、三味線の演奏には日本人のDNAに深く刻まれた郷愁をかき立てるものがあります。月岡祐紀子さん、わたしたちの心にストレートに響く演奏と唄をありがとうございました。

 フォトレポート

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第234回のテーマは、「哀愁と情熱の狭間で。三味の音の奥に秘められた切なる思い」。

いつもの司会者が急用のため、今月も代打の司会者が進行を務めます。今宵お届けするのは三味線による「瞽女唄(ごぜうた)」です。「瞽女(ごぜ)」というのは、江戸時代から明治大正にかけて、全国の村々を巡りながら、三味線の弾き語りをした目の不自由な女性の方たちです。

月岡祐紀子さんのご登場です。月岡さんは、幼少の頃より民謡を勉強されていて、高校生の時に瞽女唄と出会ったそうです。「この音楽はなんだ!ととても衝撃を受けました。きょうは瞽女さんのことも説明しながら演奏を進めていきたいと思います」。

瞽女さんたちは、家の門のところで芸を披露して、お金やお米などを頂戴して生計を立てる門付け(かどづけ)をしていました。その門付け唄から3曲続けての演奏となります。「雨降り唄」、「かわいがらんせ」、「こうとりな」と続きます。

瞽女さんは、既に室町時代の文献に登場します。当時は三味線ではなく、琵琶や鼓で曽我物語の仇討ちものなどをやっていたとか。三味線が普及するようになった江戸時代に瞽女さんといえば三味線というイメージが定着するようになりました。そして、一番最後まで瞽女さんの芸がまとまった形で残っていたのは新潟だそうです。

月岡さんが、瞽女さんたちの楽しさが伝わればいいなと思って演奏している曲「新磯節」を唄います。磯節は茨城県大洗あたりの民謡ですが、瞽女さんたちがそれをアレンジして生まれたのが「新磯節」で情熱的な内容です。

瞽女さんの唄は、恋愛をテーマにしたものが多く、一生独身で過ごさなければならなりませんでした。日本各地の港々におけさ節が残っているのは、瞽女さんたちが各地を廻ったためと思われます。

瞽女さんたちが歌ったなんともおっとりした古式ゆかしいおけさ節「おけさ」、続けて新潟を代表する「佐渡おけさ」、さらに佐渡の鉱山のなかで鉱夫たちがよく歌ったノリの良い「選鉱場おけさ」と3曲続きます。

瞽女さんたちの演目は多岐にわたっていて、たとえば「口説き」といってどこそこで心中があった、飢饉があったなどといった現在のニュースに当たる内容を伝えるもの、「段もの」や「祭文松坂」と言って現在のドラマのようなものもあったそうです。

小咄と唄が組み合わさった「話松坂」というものがあります。ミミズ、ゲジゲジ、ムカデ、セミなどが登場する愉快な唄です。

第一部の最後。瞽女さんの演目のメインといえば、安寿と厨子王の話として有名な段物の「山椒大夫」だったそうです。森鴎外の小説とは少し内容が異なります。唄とセリフが交互に出てくる構成となっています。

二部スタート。失恋した気持ちを次々に花の名前を上げながら歌う数え歌です。歌詞だけで音源がなかったのですが、月岡さんが青ヶ島民謡のテープを聞いていたとき、偶然その中にこの「花の数え歌」を発見したそうです。どうやって青ヶ島に伝わったのかロマンのある話です。

重要無形文化財に指定され、東京で公演を行った瞽女さんが当時の総理大臣田中角栄さんにお会いして5分、10分の予定を大幅に超過して唄を歌ったり、話しこまれたというエピソードもあったそうです。最後に瞽女さんたちに光があたって、とても嬉しく思いますと月岡さん。

瞽女さんたちの演目としては珍しく唄がなく、三味線だけの演奏となります。新潟県魚沼あたりの瞽女さんたちの曲で「祝松六段の調べ」、この曲は津軽三味線にも似ています。瞽女さんたちが津軽三味線に影響を与えたという説もあるそうです。

段物には悲しい曲が多いので、最後はおめでたい曲で締めくくっていたそうです。ボケとツッコミのある「漫才」という演目があり、この中から家の新築のときなどにお祝いに演奏した「柱立て」を唄います。本来はボケとツッコミの二人でやるものだそうです。下ネタも登場します。15分程の長い唄となります。

最後は皆さんと一緒に「花笠音頭」です。お客様の手拍子とともに皆で歌って大いに盛り上がったエンディングとなりました。

弊社会長細田敏和より閉演のご挨拶。「三味線の音を聞いて、皆さん一番元気だった頃のことを思い出されたのではないでしょうか。このような席ではなくお座敷ならなお良かったですね。また、弊社事業所のあります大洗にゆかりのある「新磯節」も聞けてよかった」。月岡祐紀子さん、日頃なかなか聞く事のできない瞽女さんの唄をありがとうございました